ご挨拶


【僕が医者、小児科医になった理由】

「アレルギー」
僕は物心ついた時からアトピーと喘息がありました。宿泊行事で布団を敷いて寝るような 旅館に泊まればほぼ100%喘息発作を起こしていましたし、中学のスキー合宿でも 気温差のせいもあったのか、到着の翌朝に喘息発作を起こし、1人宿に残ったつらい 思い出があります。アトピーに関してもかなりひどい状態でかゆみがひどく眠れない、シャワーもしみるような日々が続いたのを覚えています。

「医者不信」
そんな体質のせいで、何軒も病院を変えながら治療をしていましたが、今と違い 医者も特に説明もなくとりあえず出した薬を塗っておけばいいというスタンスの 医者が多く、信頼することができず、アトピーに関してはなかなかよくならない日々が 続きました。

「根暗な性格」
そういうわけで、小学校~中学校まではとにかく根暗な性格だったと思います。 アトピーがひどかったせいもありますが、今から考えれば病気にとらわれすぎて いたのかもしれません。

「文系」
僕は昔から英語と日本史は得意でしたが、数学と理科(特に物理と化学)がからきしダメでした。高校の化学と物理に関しては通知簿に毎回赤字で悲惨な点(18点とか32点とか)が記載されていましたし、大手予備校の200点満点の数学模試で1点だったこともあります。そんな感じでしたので自然と大学は文系で一番無難な商学部に進みました。

「就活」
商学部でしたので3年生の後半からいわゆる就職活動が始まりました。 そこで自分の性格やどんな職業に向いているかを突き詰めたところ やはり人の役に立ちたいという気持ちが強く、そこで初めて医者という 職業が選択肢にあがりました。

「火事場の馬鹿力」
先に述べたように僕は理数系が大の苦手でした。しかしながら医学部入試では 避けて通れません。もう後がないのでとりあえず問題集を買い込んで、 夜中にもくもくと勉強し、なんとか補欠合格ですべりこむことができました。

「小児科」
医学部も6年生になると、研修先の病院選びがはじまります。
初期臨床研修制度なるものが当時(今もですが)あり、医者になって最初の2年間はさまざまな科を回り、3年目になり初めて自分が進む科を選びます。
その研修先病院も自分で希望し、そこで面接や試験を受け採用が決まるシステムです。僕の場合まず将来何科にしようかなと考えました。
夜1人暮らしのベッドに横たわりながら、子供が好きだから小児科になろう
→小児科ならPL病院が有名かな(当時富田林に住んでいました)
→じゃあPL病院に希望をだそう
と10秒程度で進路が決定しました。
幸いPL病院で2年間の初期研修を受けることができ、そのまま特にぶれることなくそのまま小児科医になり今に至ります。
あっさり決めた小児科ですが、後悔したことは一度もなく小児科医になって本当によかったと思っています

診療


『よしまつ小児科・アレルギー科の特徴』

◆ 院長をはじめこどもが大好きなスタッフが笑顔でお迎えします


◆ わかりやすい説明をこころがけ、お母さんの不安な気持ちを減らします。


◆ 十分な換気や隔離室の設置、できるだけ余計なものを置かないことで感染対策に力を入れています。予防接種、健診だけの時間を設けています。


◆ 院内はお母さんはリラックスできる、こどもたちには喜んでもらえる雰囲気作りを心掛けています。


◆ 敷地内に駐車場が14台あり、離れた駐車場から歩く必要がありません。


「院長の紹介を少しばかり」
これまで大阪から出たことない生粋の大阪人です。
(しかし診察室ではよそいきなので ほとんど大阪弁は出ません)

大阪市立大学商学部4年生の時に急に医者になることを決意、近畿大学医学部に補欠で すべりこみ合格(裏口ではありません)PL病院、近畿大学医学部堺病院、富田林病院、 堺咲花病院等の勤務を経て、これまた急に開業を決意し、このたび大阪狭山市半田に 小児科クリニックをオープンする運びとなりました。

さそり座のB型です。
息子が1人います。


スポーツ: 高校の時に軟式野球を少々(これが唯一続いたスポーツです)
歩きまわるのは好きですが、走るのは苦手です。
趣  味: 本含め活字を読むのが大好きです。
乗り物全般(車、電車、飛行機など)動くものが好きです。
好きな食べ物: 甘いもの全般(なかなかやめれません) いちご 串揚げ
苦手な食べ物: 生魚(お寿司、刺身が食べれません)
好きな動物: パンダ レッサーパンダ
動 物 占 い: 楽天的な虎

よしまつ小児科・アレルギー科